旅の思い出①〜ユースホステル
忙しくて時間がないときほど、急に部屋を片付けたくなったり、掃除をしたくなってりする。現実逃避の一種だろうね。
で、部屋を整理していたら、ユースホステルの会員証が出てきた。もう20年以上も昔に使っていたもの。
今でもユースホステルってあるんだろうか。昔の貧乏学生にとってユースホステルと国鉄(!)の周遊券は、旅の必需品だった。
ユースホステル。略してユースと呼んだりYHと書いたりしていた。若者向けの宿泊所って感じかな。1泊素泊まりで1000円くらいで泊まれたと思う。それに2食がついてもとっても安かった。ただ、規則が厳しくて、門限あり、消灯あり、もちろん男女別々の部屋で大抵2段ベットのある4〜6人部屋。アルコールは禁止、食事はセルフサービスで、夜には1時間くらいのミーティングがあった。ミーティングっていうのは、大きな部屋に宿泊客が集まって、そこの経営者さん(ペアレントさんと呼ぶ)を中心に、自己紹介をしたあとみんなでゲームをしたり唄ったりすること。それに参加することを義務付けているユースもあった。
普通の民家を利用している小規模のユースではゲームや唄はなかったけど、自己紹介のあと雑談したり、お互いの旅の情報交換をする。それを聞いて翌日の予定を変更したり、連泊したくなってペアレントさんに「明日も泊まりたいけど部屋空いてる?」って聞いたり、ひとり旅同士が意気投合して急遽旅の同行者になったりするんだ。原則としてユースはどこもアルコール禁止なんだけど、小さいところではペアレントさんがその日の宿泊客の年齢や人となり(?)で判断して、こっそりビールや地酒を飲ませてくれるところもあった。
ペアレントさんの手伝いをしている人はヘルパーさんと呼ばれていて、アルバイトでやっている人もいれば、そこが気に入って居ついてしまい、ボランティアのように無償で手伝っていた人もいた。お客として泊まっても、自分のお茶碗を洗ったり、朝出かける前に部屋や廊下を掃除する人も多かった。みんな自主的にやっていて、お金を払って泊まっているっていうよりも、お世話になりまーすっていう雰囲気で、ユースに泊まることも旅のひとつだった。
時代は変わりプライバシーが重視され、若い人もリッチになると、規則に縛られたり知らない人と同じ部屋に泊まったりなんてとんでもない、ましてミーティングなんて流行らなくなり、閉鎖を余儀なくされたユースも多かったと聞く。
ユースってとっても不自由って感じるでしょ。でも意外と自由なんだよ。ほとんど計画なんて立てずにひとりで旅に出ても身の危険を感じることもなかったし、明日の行く先も好きなように決めていいんだ。自由気ままに1日中海辺でぼーっとしててもよかったし、人恋しかったらひとり旅の人と一緒に行動したり、ペアレントさんのお手伝いをしてもいい。
どんな人たちに出会えるかなっていう楽しみも大きかった。わたしはひとり旅のことが多かったから、できるだけいろんな人と話そうとしたし、同じような考えの人が多かったから、話し相手には事欠かなかった。不思議とね、いつもひとりかふたり、初対面でも通じ合える人が見つかるんだよ。
自分の旅も大事だけど、他の人の旅も大事。だから少しでもみんなと楽しく過ごしたいと思い、夜更かししたくても、朝早く旅立つ人のために早く眠りにつくんだ。
“あこがれを求めさまよう胸の 燃える想いを伝えん
たどり着くやら着けぬやら 人生旅的途上(たびのとじょう)”
(歌詞:河島英五)
時間がゆっくり流れる旅、いつかまたもう1度・・・・
<今日のBGM> 旅的途上/河島英五
コメント プレイバック
1.一人で幕張にまで行っちゃう行動力はここで形成されたのかと勝手に思いましたが、どうでしょう。バンプがそうさせたと言うか、元から要素があったんだなって。そう考えたら若いうちに外の世界を見て行動力や感度を養うのはとっても大事ですな。
Posted by waki at 2005年04月07日 15:06
2.そうですよ!若いうちしかできないことをしてくださいね。過ぎ去った時は返ってこないことを今実感しています。
Posted by Rinko at 2005年04月07日 22:04