星と石ころ日記

神戸在住。風の吹くまま気の向くまま。

 木に登る

本や漫画の中のセリフで何気なく読んでいたものが、次に読んだときにどきっと心に引っかかることがある。
 
以前にもここに書いたことがある漫画『家栽の人』(毛利甚八・作/魚戸おさむ・画)の第10巻、『CASE7:クスノキ』。
 
 
 
人に気を使って生きているくせに、家の中ではいばりちらす自分の父親のことを「虫みたいだ」、と毛嫌いしている少年。「あんたみたいな大人になるくらいなら死んだほうがましだ!」と父親に叫んで家を飛び出し、森にあるクスノキにナイフで切りつける。たまたまそのクスノキに登っていた家庭裁判所の桑田判事が「木が痛いと言ってますよ」と少年に声をかけた。怒った少年が桑田判事に文句を言いながら、同じ木に登るシーン。
 
 
「あんたさあ・・・大人のくせになんでこんな馬鹿なことしてんの?」
「きっとこうやって時々遠くから町を眺めるのが好きなんです。人間は人を見つめ過ぎると間違ってしまうから・・・・」
「なぜ?」
「見つめた人のいいものも悪いものも、自分にうつってしまうから。だから私はこの木の上で花を眺めます。」
 
「ケッ!それって弱虫なんじゃねえの?」
「そうですよ。」
「?」
「君は誰より強くなりたいんですか?」
 
 
 
・・・人を見つめ過ぎると間違ってしまう。そういうふうに考えたことはなかった。人に影響されて自分を見失ってしまうということだろうか。
 
 
・・・誰より強くなりたい?弱い自分に嫌気がさして、「強くなりたい」と思うがそれは誰よりだろう。相手がいるのは勝ち負けを争うスポーツか何かであって、日ごろ「強くなりたい」と思うときは相手なんかないはずだ。強いてあげるとしたら「弱い今の自分」か。
 
 
 
花や木は、誰のためでもなくまた誰かと競うわけでもなく、精一杯咲いている。そんな姿を木に登って眺めると、自分の生き方を取り戻せるんだろうか。周りの雑念に惑わされるときは、時々はそうやって自分の中の自分をみつめなさいってことかな。
 
 
楠の幹私は木には登れないけど、時にはぼんやり遠くを見て、木や花の言葉は聴けるはず。
 
 
たとえ聴こえなくても耳を澄ますということはきっとできる。
 
そう思うことが大切。
 
 
 
 
 
 
〈今日のBGM〉 ランプ/BUMP OF CHICKEN
 
写真:季節の花300より 楠   http://www.hana300.com/