「夕凪の街 桜の国」
今日仕事の帰りに1冊の漫画を買った。
どうやら「ヒロシマ」の話らしい。あの原爆から10年経った広島が舞台。戦争がテーマのものは極力避けている。本でも映画でも。
つらくて泣いてしまって、でも本当のその悲惨さを理解せず、遠い昔の悲劇としか受け止められずもどかしくて、自分が偽善者のように思えてしまうから。
ならなんで買ってしまったんだろう・・・・・なんとなく、強いてあげればタイトルに惹かれたからかな。
電車の中で読んでいて、気がついたら泣いていた。電車の中で漫画読んで泣いてるオバサンなんて・・・ひくよね。
3部構成になっている。
夕凪の街:昭和30年
昭和20年のヒロシマへの原爆投下を目の当たりにし、多くの人々の屍の上を歩いて生き残ったひとりの女性が、10年後発病して亡くなるまでのお話。
最期の女性の独白−
“嬉しい?
十年経ったけど 原爆を落とした人はわたしを見て
「やった!またひとり殺せた」
とちゃんと思うてくれとる?
ひどいなあ
てっきりわたしは 死なずにすんだ人かと思ったのに”
戦争シーンや原爆投下シーンもなく、声高に戦争反対と叫ぶのでもなく、やさしい絵で淡々と日常が描かれている。だからよけいに他人事じゃないぞ、おまえのことなんだぞって考えさせられる。
桜の国(一):昭和62年
桜の国(二):平成16年
このふたつは、「夕凪の街」で亡くなった女性の弟と、その娘が主人公。
父(女性の弟)の様子がおかしい、と後をつけた娘。実は今年は原爆で死んだ姉の五十回忌。父は広島まで行き、生前の姉を知る人を訪ねては、昔話を聞いて姉を偲んでいたのだった。父の妻(娘の母)も母も(娘の祖母)被爆者で、すでに亡くなっている。
原爆投下から60年、それを知る人も少なくなってしまった今、その過ぎ去った年月は父にとって大きな意味を持つのだ。そんな父の思いを知った娘もまた、死んだ母に思いを馳せる。両親は広島の街の桜の下で初めて出逢い、数年後に同じ桜の下でプロポーズをした。ふたりが幸せだった時代。
娘はなぜか散る桜を見ると、その光景を思い浮かべることができる。母が生きていた頃聞いたのかもしれない。
“けれど こんな光景をわたしは知っていた
生まれる前 そう あの時わたしはふたりを見ていた
そして確かに このふたりを選んで
生まれてこようと決めたのだ”
作者が言いたかったことはなんだろう。
原爆のこと、平和のこと、人々の生活のこと・・・・
遠い過去のことと思っても、わたしたちのいのちは確かにそこから繋がって、生かされているんだ、と感じた。
そして、ますます人間がいとおしく思えた。
今日の1曲:愛と理非道/syrup16g