星と石ころ日記

神戸在住。風の吹くまま気の向くまま。

 いまという時


わたしがバイブルのように大事にしている漫画『家栽の人』の中にこんな場面がある。
 
 
家庭裁判所の山本という若い調査官が、自分が調査している非行少女の気持ちが理解できず、思い悩んで桑田判事に相談する。
 
 
 
山本「僕はぬくぬくと育ってきました。そんな人間に非行少年の気持ちなんてわかるんでしょうか」
 
桑田「山本さんと彼らとは、違う人間だと言うんですか?何が違うんですか?」
 
山本「そ、それは・・・・・わかりません」
 
桑田「僕は“時”だと思います。どんな人間にも、いい時と悪い時がありますよね。ただ、人によって出会う順序が違うから、人生に違いが生まれる。家裁に来るような少年たちは、人生のスタートで冬を味わっているんです。」
 
山本「・・・・・・・」
 
桑田「まだ人生を選べることを、知らないだけです。それを人間が違うとかたづけられますか?」
 
 
冬の雑木林をふたりで散歩しながらそんな会話をするシーン。
 
桑田判事はまた冬芽について、「冬を越すために鱗みたいなもので包まれていたり、粘液で包まれていたり、植物もいろいろ工夫しているんですよ」と説明する。
 
 
 
 
“人によって出会う順序が違うから、人生に違いが生まれる”
 
出会う相手は人かもしれないし、音楽だったり本だったりするかもしれない。
 
そういえばわたしが就職する時に、担任の先生が、「社会人一年生のときにどんな人に出会うかによって、その人の仕事に対する考え方が決まるんよ。一生が決まるといってもいいかもしれない。」と言ってくださった。
 
 
あれから20年(以上だけど 笑)。一緒に就職した同期生はずいぶん減っちゃった。いまだにこうして仕事をやめずにいられるのは、確かに就職したばかりの職場で出会った人たちのおかげだ。
 
 
仕事だけじゃない。くじけそうになった時、いつも誰かが救ってくれた。
 
それは、人の場合もあれば音楽や、たったひとつの言葉の場合もあった。
 
 
 
「いまという時は、人生でたった一度の出会いの時」
 
 
あるサイトでみつけた言葉。
 
どんなにいい出会いであっても、自分がそれに気づかなければ、ずーっと凍える冬芽のままだろう。
 
 
“人生を選べる”ってそういう意味かな。
 
 
 
 
*『家栽の人』(毛利甚八・作/魚戸おさむ・画  小学館


コメント プレイバック

1.どんなにいい出会いであっても、自分がそれに気づかなければ、ずーっと凍える冬芽のままだろう。
と言う言葉にハッとさせられました。
私は色んな人たちに支えられながらも、孤独なふりをして、人の言葉をきちんと聴いていなかったんじゃないか…そんなふうに感じた一言。
いつも、Rinkoさんのブログでは考えさせられる事が多いですが、今回もズシっと心の奥に入ってくるものがありました。
私は人生をきちんと選べているのかなぁ。
あ、ところで、小田和正さんの「そうかな」と100sの「OZ」聴きました。とても良いです。このごろずっとヘビーローテーションです(笑)
Posted by ソラマメ at 2005年06月25日 04:40


2.ソラマメさん>コメントありがとうございます。わたしも前薦めていただいたランクヘッド、借りてきました。聴いてみますね。
Posted by Rinko at 2005年06月25日 09:16


3.社会人になった時の人との出会い。それが今の私をこんな風に育ててくれた
RINKOさんの言葉で、今振り返る事ができました。確かに1年目出会った先輩は
すごくすてきで、仕事に前向きで、プロの厳しさを教えてくれました。それと同時に、遊びの楽しみも伝授されました。私もいつか先輩のように、なれるかな
と憧れていたのを 思い出しました。ブログのおかげで あの頃のまだ純粋
だった自分の心を呼び起こす事が出来ました サンキューです
Posted by tomichan at 2005年06月25日 09:21


4.tomichanさん>おはようございます♪
確かに早々と仕事を辞めた子たちの退職の原因は人間関係でした。100%の確立です。今の若い人たちが、仕事を続けられるような職場を作らなあきませんね。
Posted by Rinko at 2005年06月25日 09:29


5.自分のしんどさを解ってくれる人がいる。それだけで どんなに救われてきた事か。私の愚痴をだまって聞いてくれて ありがとう
また勇気をいただきましたね
Posted by tomichan at 2005年06月25日 14:22