星と石ころ日記

神戸在住。風の吹くまま気の向くまま。

 そして五十嵐さん・・・

2日連続のライブ参戦が終わり、とってもいい気分で日付変更線を越えたんだけど・・・・

ナナさんのブログを読んで、慌ててまだ読んでいなかったJAPAN(12月号)を開いた。

 

五十嵐さんの単独インタビュー・・・・・・・・・・

たかだか数ページの記事で、五十嵐隆というひとのことが理解できるわけはない。それはわかっているんだけど、五十嵐さんが苦しんでいるのは伝わってきた。

 

「10月10日のライヴで、もしかしてやめちゃおうかなぐらいのことは考えては、ほんとにいて」

「なんかずっと雨の中で観てくれてるお客さん見てたら、やめるって言えないなと思ったんで・・・」

「やっぱりなにが苦しいかっつうと、好かれなきゃいけないってことが、一番苦しくて。」

そんな断片的な言葉が頭の中をぐるぐるぐるぐる。

今はとりあえず作品に集中している、彼女も作らず、って。

 

なんだかね・・・・苦しくなった。

 

五十嵐さん

五十嵐さん。

 

音楽から離れないよね。

 

離れないでね。




コメント プレイバック

1. Posted by ケン坊 2005年11月26日 02:48
こんにちは^^。初めて投稿します。
今回のインタビューで五十嵐さん「自分が試されている」って感じがするって言ってたじゃないですか。僕は彼と同世代で、シロップの音楽には最大のリスペクトをしています。しかし、この一年間重いうつ病になってしまい、大好きな音楽すら聴けない状態になって、今まで自分が依拠していたモラルで、この世の中を生き抜くことができんのかなと考えるようになって、そんな中、今回の五十嵐さんの上記の言葉に出会いました。次回のシロップの音は、単に世界をこちらから裁断するんじゃくて、うまく言えないんですけど、ちがう形で世界と緊張関係をもったものになるのかな、と思いました
。とにかく、今は次回のアルバムが出るまで静かに待っていたいと思います。
最後まで読んで下さってありがとうございました。


2. Posted by Rinko 2005年11月26日 08:11
ケン坊さん>9月の大阪のライブでは、曲を途中で止めたり(止めたのは中畑さんですが)唄いなおしたり弦が切れたり、いろんなアクシデントがありました。最後のほうで五十嵐さんが、「かっこ悪いよね。でもかっこ悪いのもいいよね」と言われました。そのとき、五十嵐さんの迷いを見たような気がして、今回この記事を読んであせってしまいました。
曲を作って人前で唄い続けるっていうのは自分を他人の目に晒すようなものなんでしょうね。聴く側のわたしたちも自分が共鳴できる曲に寄り添っていくうちに、曲と同化してしまうことがあるのかもしれません。だから凄く好きな曲なのに聴くのがイヤになったりすることもある。そんなことを繰り返しながらも、五十嵐隆というひとと(曲を介して)間接的でもいいから関わり続けていたいです。
なんかうまく言えませんね(笑)こちらこそ、コメントありがとうございました。


3. Posted by ケン坊 2005年11月26日 21:19
シロップの音楽を聴く前も音楽を大切にしていたつもりだったんですが、「HELL-SEE」を聴いたとき、「まだ自分は音楽というものを信頼してなかった...」という、逆説的なんですが、そういう感動というかショックを受けてしまって、それ以来、他の音楽とは違って、シロップの音楽を聴くときには、五十嵐さんという「人」を、CD(またはライブ)を通して「聴いて」る感じがします。逆に、感覚的に「シロップはこれだけ奇跡的な音楽を僕らに届けてくれたんだから、いつ解散しても、五十嵐さんがソロでも活動しなくても、とやかく言うまい」という気持ちがどこかにあるようで。シロップの音楽の中だけで、これ以上奇跡が起こると、なんか自分がヤバクになりそうで...。でも、Rinkoさんと同じように、僕も祈ってます。奇跡が途切れませんように、五十嵐さんの現在進行形の姿が見えなくなりませんように、と。


4. Posted by Rinko 2005年11月27日 10:53
ケン坊さん>「音楽というものを信頼する」という言葉を読んで、ハッとしました。そういう捉え方もあったんですね・・・
五十嵐さんに対しては人それぞれに思い入れがあるのでしょうが、きっといつまでも彼と、彼の音楽と関わっていたい、と願っているのは同じだと思います。言い換えれば、それも「信頼」と呼んでもいいのでしょうか。でもそう呼ぶことが五十嵐さんには重荷になるのかもしれない、と思ったりもします