星と石ころ日記

神戸在住。風の吹くまま気の向くまま。

 訃報

夕べは満月だったんだね。

PCでブログが開けなかったし(今朝なぜか復活)、この1週間帰りは遅かったし、空を見上げる余裕もなかった。

 

またリビングでうとうとしながらTVを見ていたら、画面に臨時ニュースが。

仰木彬オリックス監督死去”

あわてて飛び起きた。え?ご病気だったの??

 

野茂を育てて、イチローを見出し、あの阪神淡路大震災のときにオリックス・ブルーウェーブを優勝に導いてくれた仰木さん。

現役の西鉄ライオンズ時代のことはよく知らないけど、94年にブルーウェーブ監督に就任後の活躍は記憶に新しい。

前監督にその独特のフォームが認めてもらえず2軍にいた当時の鈴木選手を、期待をこめて「イチロー」と改名し1軍にひっぱりあげた。その後のイチローの飛躍は周知のとおり。

震災が起こったのは95年の1月。球団の内部からも“野球なんかしている場合ではないのでは。落ち着くまで本拠地を変えたほうがいいのではないか。”という声があったそうだ。けれど仰木監督の“自分たちができるのは野球しかない。野球で神戸の人たちを励まそう”という言葉で、そのまま神戸で野球を続けることになり、あの素晴らしい優勝へと結びついた。ユニフォームの右袖につけられた「がんばろう神戸」のワッペンは、その年わたしたちの支えだった。

ガンバロウ神戸西武球場ブルーウェーブが優勝を決めた後の清原選手のインタビュー。

“今年はオリックスに負けたんじゃない。神戸に負けたんだ”という言葉を今でも覚えている。

その頃の仰木さんは単身赴任だったので新神戸のホテル住まいで、ホームで試合がある時は地下鉄で球場通いをされていたそうだ。直接お会いしたことはないが、気さくな方だったらしい。

今年新生オリックスバッファローズの監督に就任されたが、すでに病に侵されて抗がん剤を使用されて副作用に苦しんでおられたらしい。それでもシーズン終了まで闘われた。

 

本当に野球を愛しておられたんだろう。訃報を聞いて、まるで身内のようにショックを受けてしまった・・・・

胴上げ

亡くなられたことがまだ信じられない。70歳は早すぎる。

空を見上げたら、あの満月に昇り、いつもの優しい笑顔で大好きなお酒を呑んでおられるような気がした。

 

 

仰木彬さん。

わたしたちに夢と希望をあたえてくださってありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします。


コメント プレイバック

1. Posted by ks 2005年12月16日 18:00
朝寝ぼけながら新聞見てびっくりしました。ほんと信じられなくてショック受けてます…


2. Posted by 砌 朱依 2005年12月16日 22:55
一野球ファンとして、このニュースは物凄くショックで、信じられません。
震災のあった95年に優勝した時は、
オリックスというチームが神戸のために戦うという揺ぎ無い信念が感じられて、
そのチームを一つにまとめあげた仰木監督の手腕はまさに「マジック」だったと思います。

今年、かつて監督を務めた両球団の合併球団の指揮を執って、
まさに最後まで戦い続けていたと思います。

ご冥福をお祈りします。


3. Posted by Rinko 2005年12月17日 11:23
Ksさん>神戸市民にとっては大きな存在の方でしたよね。スポーツ新聞によると、11月にイチローが福岡の病院にお見舞いに行ったときに、12月に神戸で食事をしようと約束されていたそうです。とうとう約束は叶わず・・・

砌さん>あの年のオリックスの優勝は、何か勝負とか実力とか以外のものが働いたとしか思えませんでした。遊び心のある素敵な方でしたよね。


トラバ プレイバック

1. 球史に名を残す名将の訃報 [ 資格取得とその後の人生について考えるブログ ] 2005年12月16日 10:18
ご訪問ありがとうございます。記事を読んでいただく前に・・・ Blogランキング  ← 今の順位を是非ご覧ください。 訃報が飛び込んできた。前オリックス監督の仰木彬さんだ。 体調を崩されていたとは、全く知らなかった。 千葉ロッテマリーンズ