詩人さん
昨日現在地バトンの記事に竹中郁さんのことを書いてから、しばらく郁さんの詩を読みふけっていた。(いつもこうなってしまう・・・笑)そして別館のほうに、「もらった火」という詩を紹介した。
かつて神戸で「詩人さん」といえば、竹中郁さんを指したという。「その詩業はもちろん、見事な白髪、透る声、洒落(しやれ)た着こなしまでが、神戸モダニズムのシンボルだった。」(2004年の神戸新聞web“詩人さんがいたころ”より)
詩人さん・・・・神戸の人や街に愛されたことを思わせる呼び方だ。
「伝言板」
――先にゆく 二時間も待った A
恋人どうしか ただの友達どうしか
――先にゆく 先にゆく
おれも なにかを待っていたが
とうとう この歳になっても来なかったものがある
名声でもない 革命でもない もちろん金銭でもない
口で云えない何かを待った
いま 広大無辺な大空に書く
白い白い雲の羽根ペンで書く
――先にゆく と
詩人さんが待っていたものはなんだろう。そして自分自身も誰かに向けて「先にゆく」と書く。晩年の詩だろうか。
この詩の書かれた背景はわからないが、寂しいような、逆に先にいくことが楽しくなるような、不思議な感覚に襲われた。
加納町3丁目の交差点の角に、アカデミーという小さなバーがある。派手な看板もなく、存在を知らなければ通り過ぎてしまうような、カウンターに6−7人、テーブルになんとか4人くらい座れる本当に小さな小さなバーだ。若い頃何度か先輩に連れられて飲みに行った。1年くらい前に久しぶりに顔を出したら、マスターが覚えていてくれていて、旧姓で呼ばれてびっくりした。
その昔このバーに、神戸二中時代の詩人さんは、同級生の小磯良平さんたちと学校をエスケープして通いつめたらしい。今でいうと高校生・・・・だよね。古き良き時代(笑)
戦後バーが再開すると、芸術を愛した先代マスターを慕って、画家や文学者のサロンになった。もちろんその中に詩人さんもいた。
今のマスターが小学生のとき、お父さんに学校から呼び戻された。偉い先生たちがバーの壁に絵を描くから見とけ、と言われたそうだ。40代前後の詩人さん、小磯良平さんたちが生き生きと描いた絵。(詳しくはこちら)
今でもその壁は残っている。
そして、そんな小さなバーを愛する人たちが、今も集う。
時の流れに流されない、大切なものがそこにある。