今日のこと
台風がもう遠ざかったかと思ったのに、夕方から強い雨が降り時折雷が鳴っている。
先日からの台風、そして今日の新潟・長野地震で被害にあわれた方に、お見舞い申し上げます。
あの震災からもう10年以上も経つのに、いまだに地震の映像が直視できない。
それでも気になってTVをつけっぱなしにしていたら、ある局の女性レポーターの甲高い声が聞こえてきて・・・
そばにいた息子が、「あのレポーター、楽しそうやな・・」とぽつりと。
非常事態にテンションが上がっているのだろうけど、ほんとに楽しそうに見えた。
なんなんだよ。
マイク持ってんだから、そんな大声出さなくても伝わるだろ!
もっと声のトーン、落とすとかできるだろ?
それでもプロか!!
ムカついて、「チャンネル変えな!」と怒鳴ってしまった。
そう、12年前にも似たようなことがあった。
毛皮のコートにハイヒールで乗り込んできたレポーター。
避難所で、「この方たちは今夜のお風呂はどうするんでしょうか?」と報道したレポーター。
爆音で、瓦礫に埋もれた人の助けを呼ぶ声をかき消した、低空を飛ぶ報道のヘリ。
報道の大切さもわかる。
起こったことを瞬時に全国に発信してくれたからこそ、日本中から救援物資が集まり、たくさんの救援部隊やボランティアが集まった。
・・・でも本当に知りたい情報が知りたい人に届くのは、ずーっと先なんだよね。
12年前に役立ったのは、やっぱりラジオ。
それから被害がやや軽めのところで見ることのできたローカル番組で、ずっと流されていた安否情報を流す連絡板みたいな番組。
「中央区の○○さん、△△小学校に避難。全員無事」みたいな報道を延々とやっていた。
凄かった。実際にそれを聞いて知人を探し当てた人もいた。
全然知らない人の名前が次々に読み上げられるだけなんだけど、確かにそこにはその人の生きている証しがあって、名前を聞きながら安心している人の姿が想像できて身震いした。
ローカル局だからできたのかもしれないけれど、被害状況を全国に発信するのも役割なら地元に根付いて人々の生活を守るのも報道の役割だと思った。
地震のニュースを見ながらそんなことを漠然と考え、じゃあ自分のできることはなんだろう、と。
募金・・・救援物資を送ること・・・
うちの病院にも震災以来災害救援班が結成されていて、そのメンバーが出動できるように協力したり、そのあとの病院を守ること、かな。
間接的だけど何も考えずにいるよりは、100倍マシかと思ったりする。