聖夜
やっとJAPAN1月号を読んだ。
本当は読みたくなかった。
読んでsyrup16gを解散するという五十嵐さんの気持ちをわかりたくなかった。
もし読んで何も感じなかったらどうしよう、と怖かった。
まわりのひとたちほど実は自分がsyrup16gを愛していなかったらどうしよう、と思った。
NHKホールのライブでのアンコールのとき、五十嵐さんが大樹ちゃんにおんぶされて出てきた話。
「大樹ちゃんが前歩いてたから、首絞めてやろうと思ってとびついたら、おんぶされた」
この話を聞いて思い出したのは2年前の大阪でのライブ。
本編は全部新曲だけで構成されていた。
中盤で五十嵐さんのストラトの弦が切れたり歌いだしにつまずいたりして、明らかに五十嵐さんのテンションが下がってぐだぐだになっていた。
そこで五十嵐さんが、自分とお客さんの雰囲気をリセットするためにか、
「“生活”やろうか」と言って“生活”を演奏し始めた。
ところが大樹ちゃんが途中で演奏を止めて首を横に振って「気分が乗らない」と。
大樹ちゃんは、その場しのぎの解決ではなく新曲だけの本編を高めていこうよ、“生活”が入ることでそれが崩れてしまう、ということを伝えたかったようだ。
結局“生活”は歌われずに、もとのセットリストに戻っていった。
間近でふたりのやりとりを見ていてそのときはハラハラしていたけど、あとで思うとあのとき曲を止めてまでこだわった大樹ちゃんはすごいな、と思った。
五十嵐さんには大樹ちゃんというドラマーが必要なんだ、と思っていたのに・・・・
インタビューを読んで思うことはいろいろあるし、五十嵐さんの思いも少し知ることができたけど、「音楽を続けていくことが幸せなのだろうか?」と考えちゃったのならもう仕方がない。
仕方がない、なんて言ってしまうわたしはやっぱり冷たいな、と自分でも思うけど、そう感じたのは本当のこと。
「身を削って作った」というたくさんの曲たちと、一緒に堕ちながらそれでいて癒されてきたけれど、いつまでも五十嵐さんに甘えているわけにはいかないもの。
最後に「まだやってほしいという人が、聴きたいという人がいれば音楽はやりたい」と言われているのがわずかに残された希望。
それがいつになるのかわからないけれど、「待ってるよ」って言うのも酷なのかもしれないけれど、五十嵐さんはきっと音楽から離れられないはず、と勝手に思って勝手に待ってるから。
3/1の武道館は、いろんな事情があって行けないはずだった。
けれど誘ってくださる方がいて、そして本当は行きたかった自分にウソがつけず、結局行くことにした。
迷惑かけてしまった方々、本当にごめんなさい。(うちひとりは息子だったりする)
わたしのわがままを許してください。
五十嵐さんに「ありがとう」を言いに行ってきます。