琴線
何かとうまくいかなくてイライラしたり、
無意識にひとを傷つけてしまったのではないかと思い悩んだり、
泥沼に足を突っ込みそうな精神状態で、
他人(ひと)に言葉を投げつけてさらに落ち込んだときに、
あるひとからもらった言葉ですーっと心が軽くなった。
不思議だけど本当のこと。
その言葉を冷凍保存しておきたい。
時々取り出して眺められるように。
3年前にもここで書いたことを、思い出して自分で読み返してみた。
“この明るさの中へ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかねて
琴はしずかに鳴りいだすだろう”
(八木重吉 詩集『貧しき信徒』より「素朴な琴」)
わたしの好きな八木重吉さんの詩。
この詩を読むと、「心の琴線に触れる」という美しい言葉を思い出す。
「琴線」とはなんだろう。
(1)琴やバイオリンなど、弦楽器の糸。
(2)(物事に感動する心情を琴の糸にたとえていう)人間の心の奥深くにある感じやすい心情。感動し共鳴する心情。
(小学館・日本語大辞典より)
「心の琴線に触れる」ということについて松本梶丸さんという方が、
著書の『生命の見える時 一期一会』の中で、八木重吉さんの詩にもふれながら次のように言われている。
もとより琴線というものがあるのではない。
しかし、秋の美しさに耐えかねて鳴りだす琴のように、
真実の言葉に触れれば自然に鳴りだす琴線を、人間はだれもが胸の奥にもっている。
生きるということは、この琴線に触れる言葉との出合いではないだろうか。
生きるということの喜びや感動は、本来、もっと素朴なところにあるのである。
大丈夫、きっとだいじょうぶ。
今の気持ちも冷凍保存。