人生を変えたものは人との出会いとタイミング、そしてあきらめない心~古橋亨梧選手のお話~
私にとって2021シーズンにおける最大の出来事は、古橋亨梧選手の海外移籍である。
古橋選手について何か残しておきたいと考えたが、感傷的になってしまいそうなので、何か違う形にしようと思った。
そこで思い出したのが、いつも息子が力説している、「亨梧の成長の礎になったのはイニエスタの存在もあるけど、なんと言ってもリージョとの出会い」ということ。
古橋選手がヴィッセル神戸で、リージョやチームメイトと出会ってどう変わっていったのか、見返してみよう。
古橋選手のプロ入りまでのエピソードは、あちこちで記事が上がっているので省略する。
その中でも印象に残っているのは、興國高校の監督が中3の古橋選手を見た時、ドリブルも仕掛けないし、ゴールも決めないけど15分ぐらいで3回裏を取るのを見て獲得を決めたという話。
大学卒業後のプロ入りを目指し、複数のJクラブの練習に参加したがどこからも声がかからず、サッカーをやめようかと悩んだとき、ご家族からの言葉であきらめちゃいけないと思い直したこと。
それから、中央大学の関係者の方が当時FC岐阜におられた大木監督に「一度プレーを見てほしい」とお願いし、プレーを見た大木監督が、「本当にどこにもひっかからなかったの?」と驚かれた話。
思えばこの頃から古橋選手は、出会った人たちに導いてもらっていたのだろう。
2017年2月、FC岐阜でプロデビュー。1年目で6ゴール、2年目のリーグ戦第25節までで11ゴールをあげて、2018年8月にヴィッセル神戸へ移籍となった。
当時FC岐阜サポーターの方が、「1年目の活躍を見たら、オフにJ1からオファーが来ていなくなってしまうものと思っていた」と言われていたのを覚えている。
なお、後に那須大亮さんのYouTubeを見て知ったことであるが、2018シーズンが終了したら、横浜F・マリノスが古橋選手にオファーを出すつもりだったそうだ。当時のマリノスの監督は、セルティックのポステコグルー監督であり、そのとき結べなかった古橋選手との縁を、今年無理矢理(笑)引き寄せたと言えなくもない。
ヴィッセル神戸に移籍加入したときの古橋選手のコメントは以下のとおり。
「この度ヴィッセル神戸に加入することになりました古橋亨梧です。スピードとドリブルを活かしてチームの力になりたいと思います。チームのために全力でプレーして90分間走るので応援よろしくお願いします」
J2の試合をほとんど観たことがなかった私は、ご本人の言葉と、プレーのハイライトを見て、足の速いドリブラーなんやなと思った。なので主戦場はサイドだろうと。
古橋選手も、2021年10月6日の水沼貴史さんからのインタビューで、「岐阜の時代は、どちらかというとボールを足元で受けて、ドリブルで突っ込んでゴールに向かうという意識が強かったです。」と話されている。
古橋選手が加入直前の、ヴィッセル神戸の動きは以下のとおりである。(超ざっくりな表です)
こうしてみると、何かすさまじいものが古橋選手の人生を変えようとしているように思える。
そして、ヴィッセル神戸に移籍後の、古橋選手のポジションをまとめたものがこちら。(2018~2019)
もちろん、ポジションだけで物事が決まるわけではないけれど、その選手がどういう特徴を持っているかを見極め、持っている力を試合でどう発揮させるかということは、監督の手腕にかかってくる思う。
古橋選手がヴィッセル神戸に移籍加入した当時のフォーメーションがこちら。
リージョ監督が就任し、初采配の試合がこちら。試合後に、記者から古橋選手のポジションが変わったことへの質問もあった。
試合後V・ファーレン長崎の高木琢也監督は「本来、外に張っている古橋や郷家がインサイドに入って、かなり近い位置でプレーする。ポドルスキはフリーマンで、三田はちょっとアウトサイドにDFを引き出してタテを狙うシーンを作る。今までの神戸にはなかった形をやってきた」と振り返っておられた。(この頃の試合後の監督コメントは、本当に面白かった!)
当時の私は、CFは背の高い選手がやるものと思っていたので、古橋選手のポジションに驚いた。そしてこの日の古橋選手の中央での動きはぎこちなく、これでうまくいくのだろうかと不安に思った。しかし、試合を重ねるごとにやるべきことがはっきりしてきて、CFとしての動きがスムーズになっていった。
そして、この年の11月頃から古橋選手が1トップで起用されることも増えてきた。
(余談ですが、この前節・名古屋戦から、それまで出場機会の少なかった伊野波選手の起用が増え、面白い試合が続きました)
こうして起用されるポジションが中央に移った古橋選手だったけれど、2019年シーズンにダビド・ビジャが加入したことから、再びサイドが主戦場に。
それでもビジャのプレーを間近で見てプレーをするということは、古橋選手にとっていい影響でしかなかったと思う。
先ほどあげた、2021年10月6日のインタビューの続き。
『岐阜の時代は、どちらかというとボールを足元で受けて、ドリブルで突っ込んでゴールに向かうという意識が強かったです。それがJ1では通用するときとしない時がありました。同じ時期にアンドレスも神戸に加わって一緒にプレーする中で、こう動けばパスがくるという感覚が見つかって、自分の中で「正解」「道」が見えてきたんです。
彼からも「見ているから動き出して」と言われましたし、しっかり準備できていればパスが来ますから(笑)。(イニエスタは)練習でも常に力が抜けていて、1人だけ見ている世界が違いました。毎回「うわ、出した」「そこを通す?」と驚いていましたね(笑)
あとはダビド・ビジャという素晴らしいお手本と1年間一緒にプレーしたことで、動き出しの質、ゴール前での駆け引き、シュートパターンを勉強できました。見て勉強して、頭で考えられるようになって、それが今では自然と考えなくてもできるようになったのかなと』
ビジャが引退したあとの2020シーズン、古橋選手の動きが「ビジャを見ているみたいだ!」と感じた人は多かったと思う。イニエスタ選手ともあうんの呼吸でプレーして、“師匠と弟子”とメディアから呼ばれるようになった。
2019年4月14日の広島戦の3日後に、リージョ監督の契約解除が発表された。多くの選手が、リージョへの感謝の言葉をSNSで発信していた。古橋選手も・・・
「この経験を生かして絶対もっといい選手になります。またどこかで会えるように頑張ります。」
ここからの古橋選手の活躍を見れば、その言葉どおりに、たゆまぬ努力を続けていることがわかる。いつかどこかでリージョに会える選手になってほしい、と強く願う。
2000~2021シーズンの活躍については今更私が言うこともない。
2021シーズン始めはチーム事情から右SHでのスタートが多かった。それが途中からCFで起用されるようになり、ゴールを量産していった。
それについては、移籍発表前の2021年7月のインタビュー記事で本人が話している。
『「今シーズンの序盤はサイドハーフでプレーしていましたが、4月頃から前線でプレーするようになり、そこからゴール数が増えていきました。あれは三浦淳寛監督に“得点を取りたいから前でプレーしたい”と直訴したんですか?」
「そうですね。どこかのタイミングで“FWをやりたい”と伝えました。今の神戸のサッカーで自分の特徴をより生かせるのはFWだと思ったので、いつだったかは忘れたんですけど、言いましたね。」
「神戸で4年目になって、シーズンを追うごとに結果を残せるようになってきて、自信がついて、自分らしくプレーできるようになったので。調子に乗って、天狗になってしまったらダメだと思うので、そこはちゃんとケジメをつけて、努力をしながら頑張らないといけないんですけど、この自信というのは、なくしたらいけないなと思います」』
リージョに初めてCFで起用された頃のプレーを思うと、選手として成長し、自信を持って自分らしさを発揮していることがわかる。
もし古橋選手が大学時代にプロ入りをあきらめていたら、と思うとぞっとする。
周りの人に支えられ、導かれて今の自分がある、と古橋選手自身が強く思っているだろうことは、普段の言動から見て取れる。
最後にセルジ・サンペール選手について。古橋選手と同じ1995年1月20日生まれ。このふたりがヴィッセル神戸で出会い、一緒にプレーしたことは奇跡に近いものを感じる。
7月18日にノエスタで開かれた壮行式で、号泣していたサンペールについて古橋選手は、
「同じ誕生日で同じチーム。奇蹟というか一緒にプレーできて幸せ。しばらく離ればなれになることは悲しいですが、お互い結果を残し続ければまた一緒のピッチに立つこともあると思う」
と話している。
ラインの駆け引きをしながらDFの裏を取り、サンペール選手からのスルーパスを受けて決めた古橋選手のゴールは美しかった。
またいつか、ふたりが一緒のピッチに立つ姿を見られたら、そのときは私が号泣しそうだ。
息子の言葉がきっかけとなって、2018シーズンから現在までのことを思い返してみた。苦しかったことと楽しかったことが混在し、複雑な気持ちになったが、ひとりの選手の成長を感じながら応援し続けられるのは、きっと幸せなことだ。
そんな幸せをくれてありがとう。きょーちゃんが決めてくれたゴールのおかげもあって、ヴィッセル神戸はクラブ史上最高位の3位になりました。これからもお互いにがんばろうね。(怪我を早く治してね)
【備忘録】
古橋選手の移籍が発表されてからの、みなさんの素敵なツイートをまとめました。(勝手に申し訳ありません)