星と石ころ日記

神戸在住。風の吹くまま気の向くまま。

 記念写真を撮り直すからおいでよ

今日は長男の卒業式でした。


大学の卒業式に親が行くのはどうも抵抗があってギリギリまで迷っていましたが、
これで彼の学生時代が終わるのだ、もう「保護者」とは呼ばれなくなるのだと思い、
そっと見に行きました。


行ってみたら思いのほかたくさんの保護者の方が参列されていて、目立たなくてよかったです(笑)


おかげでなんとか就職も決まり、新しい生活への準備中です。


気の利いたお祝いの言葉も言えず、特別変わった晩御飯も準備できなかったわたしに、
「みんなで食べよう」と長男がケーキを買ってきてくれました。


逆やん!(汗)


家族の誰よりもマジメで堅物な彼は、不器用すぎて友達も少なく彼女もいませんが(多分)、
親が忙しすぎてあまりかまえなかったのに、奇跡的にまっすぐ育ってくれたので、わたしには出来すぎた息子です。



結局何も言えなかったけれど、毎年この時期ここに書いている作者不明の詩を,今年も書いておきます。

誰かに贈る、というより、自分に言い聞かせるつもりで。





“危険を冒す”ということ      


           作者不明


笑うこと。それは、愚か者に見えるかもしれない危険を冒すこと。
泣くこと。それは、感傷的に見えるかもしれない危険を冒すこと。
他人に手を差し伸べること。それは、自分が巻き込まれてしまうかもしれない危険を冒すこと。


感情をさらけ出すこと。それは、あなたの本当の姿をさらけ出すかもしれない危険を冒すこと。
人々の前であなたの考えを述べたり、夢を語ること。それは、それらを失うかもしれない危険を冒すこと。
愛すること。それは、その見返りに愛されることがないかもしれない危険を冒すこと。


生きること。それは、死ぬかもしれない危険を冒すこと。
希望を持つこと。それは、絶望するかもしれない危険を冒すこと。
挑戦すること。それは、失敗するかもしれない危険を冒すこと。


だが、しかし、危険を冒すことを避けてはならないのだ。
なぜならば、人生における最大の失敗とは、何も危険を冒さないことなのだから。
危険を冒さない人は、何事も成し得ない。
何物も得ることができない。そして、何者にもなれないのだ。


その人は、苦しみや悲しみを避けることができるかもしれない。けれどもそれは、学ぶことも、感じることも、変わることも、成長することも、愛することも、そして生きることもできない、ということ。


その人は、“安全確実”という鎖につながれた奴隷。自由を剥奪されたのだ。
危険を冒す人。その人だけが、真に自由なのだから。


タイトル曲:アナザーモーニング/the pillows