星と石ころ日記

神戸在住。風の吹くまま気の向くまま。

 素朴な琴を鳴らそう

たった1日半寝込んだだけですが、気持ちがへこんでここにいろいろ書いてみたり、もうどうでもいいやと思ってみたり、わたしって弱虫だなあと思いました。

そんなわたしに暖かい言葉をくださったみなさま、本当にありがとうございました。



昼過ぎにはずいぶん楽になり、TVをつけたら大きな列車脱線事故のニュースが報道されていて、病院に運び込まれる人たちを見て10年前の震災のことを思い出し、途中でTVを消したり、気になってまたつけたりしていました。


また少し眠って起きたら薬が効いたのか、本を読む元気が出てきました。

静かで心が洗われるような言葉を求めて読むのは八木重吉さんの詩集です。

八木重吉さんは明治31年生まれの詩人で、わずか29歳で亡くなられました。高等師範学校時代にキリスト教の洗礼を受けられ、24歳で結婚、最後の1年間は結核のため絶対安静の闘病生活を続けながら、詩集を編纂されていたそうです。




“うつくしいことばかりわかって
人のたくらみはわかるな
わたしよ
でないと つかれてしまふぞ”

(詩稿:『ことば』より)



“窓をあけて雨をみてゐると
なんにも要らないから
こうしておだやかなきもちでゐたいとおもふ”

(詩集『貧しき信徒』より「雨」)



“おとなしくして居ると
花花が咲くのねつて 桃子が云ふ”

(詩集『貧しき信徒』より「花」)


こんな美しいばかりの詩だけではありません。



“人を殺すような詩はないか”

(詩集『貧しき信徒』より「病床無題」)


簡単な言葉、短い言葉なのに、感性の豊かさがあふれています。



“この明るさの中へ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかねて
琴はしずかに鳴りいだすだろう”

(詩集『貧しき信徒』より「素朴な琴」)  


この「素朴な琴」を読むといつも「心の琴線に触れる」という美しい言葉を思い出します。「琴線」とはなんでしょう。

(1)琴やバイオリンなど、弦楽器の糸。
(2)(物事に感動する心情を琴の糸にたとえていう)人間の心の奥深くにある感じやすい心情。感動し共鳴する心情。

小学館・日本語大辞典より)

とあります。「心の琴線に触れる」ということについて松本梶丸さんという方が、著書の『生命の見える時 一期一会』の中で、八木重吉さんの詩にもふれながら次のように言われています。


“もとより琴線というものがあるのではない。しかし、秋の美しさに耐えかねて鳴りだす琴のように、真実の言葉に触れれば、自然に鳴りだす琴線を、人間はだれもが胸の奥にもっている。生きるということは、この琴線に触れる言葉との出合いではないだろうか。生きるということの喜びや感動は、本来、もっと素朴なところにあるのである。”



だれもが胸の中にもっているはずの琴線。それを忘れたり、錆びつかせたりすると素敵な言葉に出合っても、気づかず通り過ぎてしまうんでしょうね。そして生きる喜びや感動をみつけられずに歳をとるのかな、と思いました。


仕事を休んでこんなことばかり考えてちょっと後ろめたい気もしますが、みなさまの言葉に後押しされて、明日からまたがんばります。ってことで、お許しを。


今日の1曲:月になって/syrup16g






コメント プレイバック

1. Posted by perakyon 2005年04月26日 09:41
体調崩されていたのですね〜ゆっくり休んでまた元気になられますように。八木さんの詩は読んだことがなかったので、今度ゆっくり読んでみたいと思います。琴線に触れる、っていい言葉ですね。


2. Posted by Rinko 2005年05月13日 12:42
成田青央さん>トラックバック、ありがとうございました。成田さんのブログをパソコンで見ようとしたのですが、文字化けして見れませんでしたので、ここにお礼を書いておきます。申し訳ありません。


3. Posted by エビケン 2005年10月03日 22:08
Rinkoさん
コメント&TBありがとうございます。

実は僕は神戸出身です。といっても大学から関東で今は茅ヶ崎ですが...

八木重吉終焉の地として茅ヶ崎に詩碑が立ちました。ちなみに全国で11番目の詩碑です。


4. Posted by Rinko 2005年10月03日 22:30
エビケンさん>コメントありがとうございます。茅ヶ崎、いいですね。サザンのイメージです(笑)