星と石ころ日記

神戸在住。風の吹くまま気の向くまま。

 この歌声が君に触れなくても


 
以前、前の職場の先輩にシロップ16グラムの曲をコピーして渡したんだけど、あまり好きにはなれなかったみたい。
 
 
そういえば、ちょうど仕事で落ち込んでいるときだったので、つらくて聞けなかったと言われていた。タイミング悪すぎ?いや、ただ好みじゃなかったのかも。波長が合う合わないってこともあるしね。寂しいけど仕方ない。
 
 
 
ん?波長ってなんだ?
 
 
波長:
①波動のすぐ隣り合った山と山と、また谷と谷との間のように、位相を等しくする2点間の距離。
②(波長①が合わないと電波交信ができないことから)話をする際の互いの心の動き。
 
広辞苑より)
 
 
「あの人とは波長が合わない」って言うものね。人と音楽の関係も同じかな。
 
 
 
前田正夫さんという方のHPに『音楽の愉しみ』というエッセイがある。その中の「音楽を聴くということ」の一節。
 
“学問的に認められることかどうかわからないが”と前置きをされて、次のように書かれている。
 
“聴いていて気持ちがすこしも動かされない演奏もあれば、波長が合うというのか、心に響いてきて体が熱くなるような演奏があるのはどうしてだろう。(中略) 
私は音楽を聴くということは、自分の体のなかの共鳴体が、耳から入る音に共鳴して鳴っているのではないかと思っている。聴きながら一緒に歌っているといってもよい。”
 
 
この方はクラッシックのファンなので、オペラや交響曲などの演奏を例にとって述べられているが、どんなジャンルの音楽でも同じだと思う。昨日からわたしがひきずっている言葉、「音は体の中で音楽になる」という言葉と同じ意味に思えるなあ。
 
耳から入る音と自分の体のなかにあるものが共鳴し合わないと、心に響く音楽にならないんだ。
 
 

だから、波長が合わない音楽だってあるだろうし、同じ時、同じ場所で同じ音楽を聴いても、感動は人それぞれだろうね。
 
 
 
 
そして最後にこう書かれている。
 
“音楽を聴いていて、ときにこういう新しくかつ新鮮な演奏に接することができ、そのつど新たな感激を与えられるというのは得難い喜びであり、いささか大げさだが生きていてよかった、人生というものもまんざらではないと思ったりする。こういう愉しみを与えてもらったことには感謝しなければなるまい。音楽の専門家つまり音楽を職業にする人には、またわれわれの思いつかぬような苦しみがあろう。演奏するにせよ鑑賞するにせよ純粋に音楽を楽しめるわれわれアマチュアが一番いいとこ取りをしているのかもしれない。 ”
 
 
 
 
7日のリキッドルームにシロップのライブに行かれたすぎまるさんから、昨日の記事にコメントをいただいた。
 
ライブ中に五十嵐さんが、「好きな曲を作って、それを聴いてくれる人たちがいて…、生きててよかったです」って言われて、それが本当に心から出てきた言葉で、その想いが新曲に表れてるのかな、という印象を受けられたそうだ。

 
 
いいとこ取りをしているわたしのほうこそ、「生きててよかった、ありがとう」って言いたいです。
 
 
 
 
 
今日の1曲:夢/syrup16g


コメント プレイバック

1.また遊びに来ちゃいました☆
私もシロップのリキッド②days行ってきたんですが…
本当に、五十嵐さんのその言葉にはジーンとしました…。
自然と口から出てきたような、そんな感じだったんです。
それがまたたまらなく嬉しくて…。
本当に、こちらこそありがとうって感じですよね…!!
②daysのレポ書いてみたので(しょぼいですが…)お暇なときにでも遊びに来てください♪
Posted by あさこんぶ at 2005年05月09日 12:53


2.こちらにもコメント♪
五十嵐さんのその言葉は本当に音楽を愛して音楽の道で生きて行く、
俺は音楽で生きていける、音楽に生かされてるから大丈夫、(深読み?)
と言う心の変化から来たもののようにも感じます。
今までは音源でもライヴでも多少心の奥のドアを閉めて閉ざしていた感じがするんです。
だからMtMの「実弾」辺りから変わってきたんじゃないかと・・・。
とにかく五十嵐さんがそう言ってくれて嬉しいです。
Posted by 蟲◆MushiMeMMY at 2005年06月11日 13:45