成人式の朝の失敗
今日、本当はピロウズ@Zepp Sapporoのライブに行くはずだった。
それが、チケットを申し込んでずいぶん経ってから、次男の成人式の日だと気づいた。
わたしの頭の中の成人式は、今も1月15日なのだ。
2年前の長男の成人式のとき、前日がピロウズ@高円寺HIGHのライブだった。
このライブは、ピロウズのFC限定でそれもひとり1枚しか申し込めないというレアなものだったのに、見事当選!
長男はその前から「成人式の式典には行かない」と言っていたので、わたしは嬉々として東京へ向かった。
ライブが終わってホテルに帰ったら長男から電話があった。
「やっぱり成人式に行くことにした。高校のときの友達と今日たまたま会って、一緒に行こうと約束した」と。
いや〜〜〜(汗)
何ひとつ準備していない。。。スーツとか。
慌てて予定を変更して翌日始発の新幹線で神戸に帰って、なんとか準備ができた次第。
なので今回はおとなしく家にいて、次男を式に送り出そうと決めた。
自分で決めたことだし、大体ライブと成人式を比べるものでもないし、平気平気。
そう思っていたのに・・・・
今朝、次男にこう言ってしまった。
「ほんとは今日、ピロウズのライブのために札幌に行くはずだったんよ。でも成人式だからやめといた。」
はっ!!
しまった〜〜〜!!!
次男はひと呼吸置いて静かに、
「行けばよかったのに。」(別に俺、頼んでへんし)
心の声まで聞こえた。
あーーー!あほや、わたし。
次男の性格を考えたらそうなるのはわかっていたのに、何を恩着せがましく。。。
長男なら「そりゃ悪かったな、ありがと」って言うと確信してるけど、次男は違う。
しかも次男の反応のほうが普通じゃん!
口から出した言葉は元には戻せず、苦い後悔でいっぱいになり、身支度をする次男に必要以上に優しくしてしまったのだった。
20歳。
母歴も20年。
20年も一体何をやってきたのだろう。
もう役目が終わろうとしているのに、まだまだ未熟だ。
そもそも「親」ってなんだろう。
そんなことを考える機会もないまま突っ走ってきた。
家族カウンセラーの中尾英司さんという方が、「親」という字についてこう書かれている。
引用させていただく。
「親」とは、「辛」い「木」をそばで「見」ている人だ
辛い木とは、切られたばかりの生木
その切断面はジクジクヒリヒリとして痛ましい
見ていられなくて手当をしたくなる
手当をすれば、自分はやるだけのことはやったと肩の荷を下ろすことができる
しかしそれは、木の自己治癒力を奪い、自分がラクになるだけのこと
だから、木の辛さをともに感じながら傍にいて黙って見守っている
木は長い時間をかけてゆっくりとカサブタができ、やがて治癒していく
見守ってくれている人がいるから、自分の傷と向き合う勇気が湧く
どの人も、人は自分で自分を癒す力を持っている
親とは、そのように相手を信じて見守る人のことだ
(『あなたの子どもを加害者にしないために』より)
「相手を信じて見守る」
これがなかなか難しい。
息子たちは、「自分の傷と向き合う勇気」「自分で自分を癒す力」を持てただろうか。
まず何よりも、自分自身はどうなんだ?
と、自分と向き合ってみなければ。
手当てをしようがしまいが、
親は死ぬまで親。