星と石ころ日記

神戸在住。風の吹くまま気の向くまま。

 あの日の記憶

今日はスリーピーのライブのために名古屋に行ってきました。

そのライブの様子は、長くなるので明日以降に書こうと思います。




 * * *




今日は1月17日。


神戸にとっては忘れられない日。




幸いわたしの住む地域は被害が少なく住むことはできていたが、水が出なかったので、幼い息子とポリタンクを持って近くの公園の水道に水を汲みに行った。

家の周辺では、水が出る水道のある公園が2箇所しかなくて、毎日長蛇の列ができていた。



近くのスーパー・コンビニには商品はあったが、被害が大きかった地域の人たちがたくさん食料を仕入れに来られていた。

店に入るために列に並んで、入場規制されながら入ったときには食材・食料品は何もなかった。



やっと買えた食料を、いつまた手に入るかわからないからと節約して、家族4人でコロッケ1個を4等分して食べた夜もあった。


あとで聞いたところ友人の家では、「いつ死ぬかわからへんから」と、家にあった食材を使い切って焼肉を食べたそうだ。



ああ、そういう考え方もあるのか、と思った。






わたしの友人は長田に住んでいて、震災のときに起こった火事のため家が全焼して、小学校の体育館に避難していた。

仕事に出てきたのは1週間くらい経ってからだったろうか。



「みんな燃えちゃって、何も持ち出せなくて、ほんとに着の身着のまま避難したけど・・・命があっただけよかった、と両親と話してるねん。」


泣き笑いの顔でそう話してくれた。




彼女だけでなく、たくさんの被災者が家を失くし、体育館に避難されていた。

救護班としていくつかの小学校を医師とともにまわった。

寒い体育館、冷たい床の上に薄い毛布1枚敷いて眠っているひと、ボランティアとして救援の物資を配るひと、パン1個を兄弟と分け合う子供たち、身内を亡くして打ちひしがれるひと・・・


いろんなひとがそこに生きていた。




そんなひとたちに出会うたびにわたしは、「普通に生活できている罪悪感」を感じるようになった。


たいして被害を受けていない自分には、震災を語る資格はない、と思った。



それでも毎年1月17日がやってくるたびに、心の奥に沈んでいる澱をかき回されるような気持ちになって苦しい。


もう15年経つのに、その想いは今も変わっていない。


でも、苦しいからと言って、それを消したいとは思わない。


そういう想いを抱えて生きていくのだ。


そして、生きていることに感謝をするのだ。




今日のライブ中、何度もそう思った。


好きな場所に行けて、好きな音楽を聴いて涙が流せることに感謝しよう。



それが、生き残ったわたしたちのできること。


とても小さくて些細なことではあるけれど。



その次に何ができるかは、これから考えよう。


まだまだ生き続けなければ。