星と石ころ日記

神戸在住。風の吹くまま気の向くまま。

 心に届く言葉

忘れられない出来事がある。もう10年以上も前のこと。まだ看護婦さん、と呼ばれていた頃。

救急外来に、生後6ヶ月の赤ちゃんを抱いたお父さんが血相を変えてやってきた。その日親戚に不幸があったので手伝いに行くために、末っ子の赤ちゃんを一時預かりの保育所に預けた。保育所でお昼寝のあと保母さんがその子を見ると、呼吸をしていなかったとのこと。近くの病院に運ばれ死亡が確認されたが、あきらめきれないお父さんがその子を抱え、うちの病院に飛び込んできたのだった。(その状況は、のちに先の病院から連絡が入りわかったことである)

事情がわからないまま、すぐさま蘇生のための処置を行った。しかしすでに心肺停止してから時間が経っており、処置が効果のあるはずもなく死亡確認がされた。付き添って来られていた両親と保母さんがそばで泣き崩れた。

その子に入れた点滴ラインやチューブを抜いて身体を拭いていたとき、突然お父さんが「この子に俺の血を輸血してやってくれ」と叫ばれた。「俺はこの子には何一つ親らしいことをしてやっていない。どうかお願いですからこの子に輸血してやってください!」と泣きながらそばにいたスタッフひとりひとりに頭を下げられた。

その場にいたスタッフは、全員言葉を失くし凍りついた。私も“お父さんに何か言ってあげなくちゃ。看護婦として何かを言わないと”と焦ったが、何一つ言葉が出てこない。こんなとき、どんな言葉が役に立つっていうんだ?・・・

そのときひとりの先輩看護婦が、お父さんの肩に手を置いて静かに話しかけた。「お父さん、お気持ちはよくわかります。けどね、この子に輸血をしてあげるためには、もう1回針を刺さないといけないんですよ。痛い思いをするのはかわいそうでしょ。ゆっくり眠らせてあげましょう」お父さんはこの言葉を聞いて、我に返ったようにうなずき、静かに泣き始めた。

 

先輩の言葉が正しかったかどうかはわからない。けれど、お父さんの心に届いたのは確かだった。他の医師や看護婦がどうしていいかわからず立ちすくんでいるときに、自然に出てきた言葉だった。

 

今でもこの日の光景は目に焼きついている。お父さんの嗚咽、先輩の静かな声、目を閉じた赤ちゃんの顔・・・。いくら国家試験に通って看護婦になったところで、実際自分たちの手では人は治せない。職業として限界を感じていた時期でもあったので、先輩は大きなものを私に教えてくれた。何かを生み出すわけでもなく、形にも残らず空しく消えていく「言葉」というものが持つ力を。人の心が救えるかもしれないというわずかな希望を。

あれから年月が過ぎ、あの日の先輩の年を追い越してしまったが、まだ一度も先輩に追いつけたという実感はない。相変わらず目先のことでジタバタして生きている私だ。いつかはこの仕事は天職だとか、誰かのために役に立てたなと実感できる日がくるんだろうか。

 

Rinko

<今日のBGM> ただただ/笹川 美和