僕のカタチがわかりますか
ああ、いやだなあ・・・・
忙しくて時間がないときスタッフに呼び止められて、「○○さんの身体を動かすの手伝ってください」と言われたとき、思わずいや〜な顔してるんじゃないかな。
やっぱり気がせいて走りたくなったときに患者さんや家族の人に話しかけられて、ひきつった笑顔しかできてないんじゃないかな。
自分のリアルタイムの姿って絶対自分では見えないよね。かろうじて鏡に映った左右対称の顔が見えるくらい。声も同じ。本当の声は録音しないと聞こえない。それだって本当の自分かわかったもんじゃない。
だからふいに声をかけられたときの一瞬に、本当の自分が出てしまう気がする。そのあとどんなに取り繕っても取り返しがつかないんだ。
中学生の頃、手のひらに眼があったらいいのにって思ったことがあった。
・・・・でも、いつも自分の表情が見えてたら、恥ずかしくて生きていけないかもしれない。
結局オブラートを通してしか自分の姿は見えないんだね。鏡か、人の目を通してしか。
それは人の目を気にして生きるっていうのとは、少し違う気がするんだけど、どうだろう。
今日の1曲:確かめに行こう/the pillows